令和8年7月24日(金)
私の通った小・中学校の夏休みは7月25日からだった。
だから、7月24日という日は、ちょっと特別な日だった。
教室にあるものを、全部持って帰らなければならない日。
計画的に少しずつ荷物を持って帰る、ということができない子どもだったので、毎年、1学期の最終日になると、大量の荷物を抱えて下校していた。
絵の具セット。
習字道具。
上履き。
体操着。
そして、なぜか最後まで学校に置きっぱなしになっている、名前も忘れた何か。
両手いっぱいに荷物を持って、よろよろ歩く。
あれも夏休みの風景だった。
そして、7月24日の私には、もうひとつ、毎年恒例の野望があった。
「今年の夏休みこそ、お盆までには宿題を終わらせる」
いや、何なら、
「7月中に全部終わらせて、8月は悠々自適に過ごす」
という壮大な計画。
もちろん、そんな年は9年間で一度もありませんでしたが…
毎年、同じような野望を抱き、同じような時期に焦っていた気がする。
それでも、7月24日という日付を見ると、今でもちょっと気持ちが浮き立つ。
明日から夏休み。
何でもできそうな気がする。
三つ子の魂百まで、とはよく言ったものです。
そんな私の現在の7月24日は、夏休みどころではない。
今の会社では、ちょうどPerformance Review、人事考査の真っ最中です。
5月に自己評価を書き、
6月に同僚や上司からフィードバックをもらい、
7月に上司との面談。
そんな流れで、昨日、上司との面談がありました。
ちなみに、今回の話は「上司に評価されなくて悶々とした」という話ではありません。
むしろ、面談の中で、
「へえ、そうなんだ」
と思ったことの話。
彼女は、私の自己評価に影響されたくなかったので、まず自分でフィードバックを準備してから、私の自己評価を読んだらしい。
なるほど。
確かに、そのほうが先入観なく評価できる。
そして、自分のフィードバックを準備し終わってから私の自己評価を読んだところ。
私が「この1年で自分が一番やったこと」として挙げていたことが、彼女の頭の片隅にもなかったらしい。
え。
そこ、忘れる?
ちょっと面白かった。
というのも、それは私にとって、2年前に入社したときからずっと気になっていたことだったから。
しかも、上司自身も、私が入社したときから「ここは何とかしたいのよね」と言っていた。
去年1年間、私はたぶん、そのことに一番頭と時間を使った。
だから、私の中では、
「去年、一番頑張ったことはこれ」
と、かなりはっきりしていた。
それが、まさかのノーマーク。
「え、そんなに?」
と、ちょっと笑ってしまった。
もちろん、よく考えてみれば分からなくもない。
かなりの裏方作業だったから。
派手な成果が出るわけでもない。
数字が大きく動くわけでもない。
「私、こんなことやりました!」と、毎朝みんなの前で発表するような仕事でもない。
私が黙々とやっていたことを、上司が同じ熱量で覚えているとは限らない。
それはそうだ。
それでも私の中では、去年の一大プロジェクトだったので、
その温度差が、なんだか面白かった。
その日の犬の散歩中、ふと考えた。
私にとって「一番」だった理由は、単純に、かけた時間や労力が大きかったからだけではないのかもしれない。
たぶん、それが私にとって一番気になることだった。
私にとって、優先順位の高いことだった。
だから、頭の中で大きなスペースを占めていた。
でも、上司にとっても「気になること」ではあったとしても、私ほど「優先順位の高いこと」ではなかったのだろう。
同じものを見ていても、どこに目が留まるかは、人によって違う。
同じ会社にいて、同じ仕事をして、同じ問題を見ていても、
「私はここが一番気になる」
と、
「私はこっちのほうが気になる」
は、普通に違う。
考えてみれば、当たり前のこと。
でも、こういうことって、普段はなかなか気づかないもんです。
自分が気になっていることは、相手も当然、自分と同じ熱量で気にしているような気がしてしまう。
自分が大切にしていることは、相手にとっても大切だと思ってしまう。
だから、相手がそこを見ていないと、
「え、そこ気にならないの?」
となる。
今回の私のように。
そして、これって会社だけの話ではないんだろうな、とも思った。
家族や友人との関係でも、きっと同じようなことは起きている。
自分にとっては、ものすごく大切なこと。
自分なりに頑張ったこと。
相手のために、と思ってやったこと。
でも、相手の記憶には、それほど大きく残っていない。
逆に、こちらがすっかり忘れているような小さなことを、相手はずっと覚えていたりする。
人間関係には、それぞれ別々の「重要事項リスト」があるのだろう。
会社の場合は、人事考査という仕組みがある。
「あなたはこれを頑張りました」
「私はこれを評価しています」
「私はここを大事だと思っています」
そんなことを、ある意味強制的にすり合わせる機会がある。
だから今回みたいに、
「あら。私たち、同じ1年を過ごしていたのに、見ていた場所がちょっと違ったんですね」
ということが分かる。
でも、家族や友人関係では、そんな面談はない。
「では、ここで昨年度のあなたの私への貢献度について振り返ってみましょう」
なんて言い出したら、かなり面倒な人である。
「私は去年、あなたのためにこれだけやりました」
と自己評価シートを提出した日には、次の人事考査を待たずして、関係そのものが終了する可能性もある。
人間関係において「私の貢献」を訴えすぎると、ただの鬱陶しい人になる。
関わりたくないヤツ筆頭。
でも、だからこそ、たまにはこういう「認識のズレ」を知る機会があるのも、悪くないのかもしれない。
「私にとって大切だったことが、相手にとっても同じくらい大切だったとは限らない」
ただ、それだけのこと。
それは「分かってもらえなかった」という話ではなくて、ただ、見ている場所や見る熱量がが少し違ったというだけのこと。
そう思うと、今回の「まさかのノーマーク」も、なんだか面白い発見だった。
ちなみに彼女が挙げた私の貢献は、私が時間があるときにちょこちょこっとやったことだったり、自分の楽しみに「趣味的」にやったことだったりして、
「え、そこでしたか?!」
と思った。
子どもの頃の私は、7月24日になると、
「今年こそ、7月中に宿題を終わらせる」
と思っていた。
その野望は、9年間、一度も実現しなかった。
でも、毎年ちゃんと野望だけは持っていた。
人は、自分の中ではけっこう大事なことを、意外と長いこと覚えているものらしい。
たとえ、隣の人にはすっかり忘れられていたとしても。
そして今の私は、宿題の代わりにPerformance Review。
明日から夏休み、ではなく、明日かもまた普通に仕事。
それでも、7月24日になると、なんとなく思う。
「さあ、明日からまた頑張ろうかな」と。
……そう思うだけで、実際に7月中に何かを終わらせるかどうかは、また別の話ですけれど。
人は、そう簡単には変わらないのです。

(チャッピー画伯作)