更年期って、まさに秋なのかもしれない

令和8年10月18日(日)

 

     

                (チャッピー画伯作)

 

10月上旬までは、「地球温暖化」という言葉が頭から離れないくらい暖かい日が続いていました。

ポートランドも、いつまでも夏の続きのような顔をしていたのだけれど、気がつけば、ゆっくりと、でもちゃんと季節は進んでいます。

朝晩は少し冷え、木々の葉も、緑一色だったところに赤や黄色が混じり始めた。

私は、この時期の木がいちばん好きです。

まだ緑も残っているし、赤や黄色もある。
「これから全部、紅葉します!」という一歩手前の、なんとも中途半端な状態。

でも、その中途半端さがいいと思う。

 

緑から赤や黄色へ。
夏から秋へ。

何かが変わっている途中の景色には、完成したものとはまた違う美しさがある。

      

 

そして最近、私の身体も、着実に「変化の途中」にある。

そう、更年期です。

体重は確実に増えている。
以前なら「ちょっと食べすぎたかな」で済んでいたものが、今では息をするだけで体重に反映されている気がする。

そして、ホットフラッシュの兆候。

アメリカ人が長袖を着ている中、私だけ半袖で平気な顔をしている、という若い頃には考えられなかった現象も起きています。

 

先日は、

「最近、目が敏感になった気がするんです。パソコンのモニターが眩しくて、涙が出てくるんです」

と医者に訴えたら、

「ああ、ドライアイかもね。それも更年期ではよくあることよ」

とのこと。

 

なるほど。

こうなってくると、身体に何か不調が起きるたびに、

「それ、更年期かもしれませんね」

という一言で、かなりのことが説明できてしまう。

便利なのか、便利じゃないのか。

 

友人とも、

「医者に訴えても、治してくれるというより、『あ、それね。この年代なら普通だから安心して』って宥められるのが治療になったよねぇ」

と笑い合ったところ。

若い頃は、身体に何かあれば「原因を探して、治す」だった。

今は、「それは年齢的に普通です」と言われて、なぜか安心して帰ってくる。

診察室での着地点まで変わってくるらしい。

 

秋晴れの今日。

近所の黄葉を楽しみながら、いつもと違う道をお嬢さんと散歩をしました。

空は青く、空気はひんやりしている。
木々は緑、黄色、赤。

                  

                 

          

                このお宅の紅葉を見るのが毎年のお気に入り


その景色を眺めながら歩いていたら、

更年期って、まさに今のこの季節なんじゃないだろうか、とふと思った。

若い人から見たら、もう枯れかかっているように見えるかもしれない。

でも、もっと年上の人から見たら、

「まだまだ緑が残ってるじゃない」

なのかもしれない。

 

みずみずしさは、とうに失いました。

肌も、体力も、夜ふかしした翌日の回復力も。

でも、変わっていく途中だからこそ見える景色もある。

若い頃とは違う身体。
若い頃とは違う考え方。
若い頃には気づかなかった、小さなことへのありがたさ。

それらが少しずつ混ざり合って、今の自分になっている。

そう考えると、赤と黄色と緑が混ざった、今の木々の色とよく似ている。

 

ところで、「更年期」の「更」という漢字には、「新しく改める」「改めて変える」といった意味があるらしい。

「更」という字をあらためて眺めてみる。

更年期。

そうか、ただ古くなっていく時期ではなくて、次のライフステージへ向けて、自分の心と身体を少しずつ更新していく時期。

そう考えると、「更年期」という言葉から受ける印象が、少し変わってきます。

まぁ、体重が増えることまで「人生のアップデート」と言われると、それはご遠慮したいのだけど。

とりあえず今はまだ、緑も残っているし、赤や黄色もある。

そして私は、周りのアメリカ人が長袖を着ている中、今日も半袖だったのでした ( ´∀`)

ハロウィンのカボチャを折りながら、考えたこと

令和8年10月16日(金)

 

アメリカでは、独立記念日が終わったあたりから、うっすらとハロウィンが始まります。

お店にオレンジ色のカボチャが並び始め、まだ夏の名残があるうちから、世の中は少しずつ不気味な方向へ。

そして10月に入ると、いよいよ正式解禁です。

 

私の職場でも、コンプライアンス部と人事部の主導で、恒例のいたずらが始まります。

なぜこの組み合わせの部署が主導するのか。考え始めると少し気になりますが、そこはあまり深く追究しないことに。

私にも、いくつか担当があります。

 

ひとつ目は、出社した社員がイニシャルを記入するサインインシート。

いつもと微妙に名前の順番を変えてみたり、ホラー作品の登場人物の名前をこっそり紛れ込ませてみたりします。

出社した社員が、いつものように自分の名前を探す。その、ほんの一瞬の「ん?」を狙うわけです。

 

ふたつ目は、社員のデスクの高さを微妙に変えること。

大幅に変えると、いたずらというより業務妨害になりかねないので、あくまでも微妙に。

そして、いたずらの目印として、チョコレートを入れた折り紙のジャック・オー・ランタンと、「Treat AND Treat」と書いた付箋を残します。

Trick or Treat ではなく、Treat AND Treat。

いたずらを仕掛けたうえに、お菓子まで置いていく。なかなか欲張りなシステムです。

もちろん、こういう冗談を楽しんでくれそうな社員だけが対象。笑ってもらえてこそのいたずらですから。

              

        

 

そんなこんなで、いたずらのペースに遅れないよう、私は仕事の合間にせっせと折り紙でジャック・オー・ランタンを作っています。

 

そして毎回、折り紙を折りながら

この図案を考えた人、いったいどうやって思いついたんだろう。

なんて思いに耽ります。

子どもの頃から当たり前のように折ってきた折り鶴だって、折るだけならなんとかなる。

でも、最初はただの平らな一枚の紙。それが、何度か折るだけで、ちゃんと鶴の姿になるのです。

完成形を知っているから折れるのであって、何もないところから「この順番で折れば鶴になるはず」と考えつくのは、まったく別の能力だと思う。

私には、その発想力が決定的に欠けています。

折り紙の図案を考えた人、すごいなぁ。

ありがとう。

そんなことを考えながら手を動かす時間は、私にとってなかなか瞑想的(meditative な時間)です。

仕事の合間に、気分転換に紙を折りながら、会ったこともない誰かの頭の中に思いを巡らせる。

 

先日、YouTubeで「IQの違いによって、見えている世界がどう違うのか」というテーマの動画を見ました。

その動画では、IQの全く違う人たちが見る世界は全く違うものなのだ、という話をしていました。

もちろん、ひとつの動画で人間の能力や世界の仕組みをすべて説明できるわけではありません。

それでも、知能指数の見方として、なるほどなぁ、と思ったのです。

 

世の中には、同じものを見ていても、私には思いもつかないことを考えつく人がいる。

目の前にある一枚の紙から、鶴やカボチャを生み出してしまう人もいる。

そう考えると、私が毎日せっせと折っているジャック・オー・ランタンも、ただのハロウィン飾りではなくなってきます。

もしオリガミの世界にも、IQならぬ「オリガミ指数」というものがあったなら。

私はきっと、かなりの落ちこぼれです。

まぁそれでいいのです。

自分で図案を考える才能はなくても、誰かが考えてくれた図案を折って、チョコレートを詰めて、同僚のデスクにそっと置くことはできる。

オリガミ指数は低くても、いたずらの実行力とお菓子の配布能力なら、そこそこある。

今年の10月も、私はそんな自分の持ち場で、せっせとカボチャを量産しています。

             

 

日本語が通じない安心感、ついに終了

令和8年10月9日(金)

 

お隣のご近所さんが家を売って引っ越していったのは、8月の終わり頃だったでしょうか。

「寂しくなるわね」とお別れをしたものの、Out of Sight, Out of Mind(去る者は日々に疎し)とはよく言ったもの。

その後は、誰が越してくるのかが、もっぱらご近所さんとのゴシップネタになっていました。

 

家の中は入居前に改装していたようで、工事関係者の出入りは毎日のようにあるものの、

肝心の住人らしき人の姿は見かけず。

そんなことが1ヶ月ほど続いた、今日金曜日。

 

在宅勤務の日。やる気のなさを隠す気もないルームウェア姿で、お嬢さんを外に出したところ、

身なりの整った年配の男性と玄関先でばったり。

 

「最近、越してきた者です」

と、ご丁寧に挨拶をしてくださいました。

こちらも自己紹介をすると、

「もしかして、日本のお名前?」

「そうです」

「私、長らく日本に住んでいました」

おお。これはちょっと意外な展開。

「日本語は?」

と日本語で聞いてみると、

「少しだけ」

と、これまた日本語で返ってきました。

「あ、どうも」

と、なぜか反射的に日本語で挨拶し、お辞儀をする私。

すると、向こうも「こちらこそ」と頭を下げる。

 

英語訛りながらも流暢な日本語と、自然な日本式のお辞儀。

なんとも不思議な、そしてちょっとうれしいご近所さんとのご対面となりました。

 

そもそも、向こうから私の名前に気づいて日本人かと尋ねてきたうえに、日本に長く住んでいたという話。

少なくとも、日本に対して悪い印象を持っているわけではなさそうです。そう思いたいところ。

 

日本に馴染みのある人がご近所に越してきたというだけで、ちょっとテンションが上がるものですね。

異国暮らしも長くなると、こういう小さな共通点が妙にうれしい。

……と、喜んでいたのですが。

 

ひとつ、気づいてしまったことがあります。

これからは窓を開けて、日本語でバカ話をするのが少々はばかられる。

今までは、何をしゃべろうがご近所には通じないという、ある種の安心感がありました。

それが、まさかのお隣に日本語の分かる人。

 

いや、もちろん「少しだけ」とおっしゃっていたので、そこまで心配する必要はないのかもしれません。

でも、こういうときに限って、聞き取られたくない話ほど、はっきり聞こえるもの。

新しいご近所さんとの出会いに、うれしさ半分、ちょっとした緊張半分。

 

ポートランドの我が家、これからは日本語にも少々の品位が求められることになりそうです。

       

                (チャッピー画伯)

 

車通勤になったのに、なぜか帰宅が遅くなっている

令和8年10月2日(金)

 

最近、何かがズレている。

 

仕事が以前より格段に忙しくなったわけでもないのに、夜更かしが増えています。

なぜだろう。

考えてみると、帰宅が遅い。

なぜだろう。

車通勤になったから。

 

……いや、普通は逆では?

今の職場に転職して以来、ずっとバス通勤をしていました。

ところが、今年度からバスの便数が大幅に減少。

私が利用していた路線は別の路線と統合され、停留所が増えたうえに、運行本数は激減。家からダウンタウン方面は朝に2本、帰りのダウンタウン発も夕方に2本という、なかなか選択肢の少ない時刻表になってしまったのです。

そんなタイミングで、管理職の一人が職場を離れ、オフィスのガレージのFob(入退場用の電子キー)が一つ余ることに。

ありがたいことに、私が使わせてもらえることになりました。

 

バスの減便で困っている人は、私のほかにもいるはず。

そう思うと、ちょっと遠慮してしまったのですが、

「こういう場合の正しい返答は、『ありがとう』だけよ」

と教えられまして。

なるほど。では、ありがたく。

こうして、長年のバス通勤から車通勤へと切り替わったわけです。

 

ここまでは、なかなかラッキーなお話。

問題は、その後。

 

バス通勤をしていた頃は、帰りの便に間に合わせるため、午後4時55分あたりにはオフィスを出ていました。

ところが、車通勤になってからというもの、気がつけば午後6時半、ひどいときには7時頃までオフィスに居座っている。

 

誰かに残業を命じられているわけでもありません。

ただ、何となく。

「ここまでやってから帰ろう」

「これだけ片づけておこう」

「あと少しでキリがいいし」

……と、帰る理由よりも、もう少し仕事を続ける理由を見つけるのが上手になってしまった。

これ、日本人あるあるではないでしょうか。

 

もちろん、車通勤になったおかげで、バスの時刻表に振り回されることはなくなりました。ガレージのFobも、本当にありがたい。

返却する気は、今のところありません(笑)。

 

ただ、ふと思うのです。

バスの時間に合わせて帰っていた頃は、良くも悪くも、帰る時間を自分で決める必要がなかった。

今はその制約がなくなったぶん、自分で自分に「今日はここまで」と言わなければならない。

自由になったはずなのに、自由の使い方が分からない。

何とも皮肉な話です。

せっかく手に入れた通勤の自由を、オフィスでの滞在時間延長に使ってどうする。

 

というわけで、これからは帰る時間をあらかじめ決めて、そこできっぱり仕事を切り上げる練習をしようと思います。

仕事を終えるのも、仕事のうち。

そう自分に言い聞かせながら、今日もガレージのFobを握りしめる。

便利なものを手に入れたのだから、今度はそれをちゃんと自分の時間のために使わなくては。

 

まずは、午後5時台にオフィスを出るところから。

そう思いながら、「明日こそは」「来週こそは」を繰り返している。

まあ、長年身についた習慣は、そう簡単には変わらないものです。

来週こそは、少しだけ自分の時間を取り戻せますように。

 

       

             (チャッピー画伯作)

 

口座を開いて半年放置。48歳、ようやく投資を始める

令和8年9月27日(日)

 

海外在住48歳、独身。

今さらながら、我が家の財政を見直しています。

「我が家」と言っても一人暮らしなので、家計会議の参加者は私ひとり。
議長も私、書記も私、そして都合の悪い数字を見つけたときに目をそらす係も私です。

そんな私が、最近になって銀行口座を整理しています。

 

ここしばらく、私が利用している銀行では、CD(Certificate of Deposit/定期預金)よりSavings(普通預金)のほうが金利が高い状態が続いています。

それは分かっていました。

分かっていたのです。

なのに、無精者の私は、CDが満期を迎えるたびに、

「これ、解約してSavingsに移したほうがいいよね」

と思いながら、なかなか動かない。

そして満期が来ると、自動更新。

「ああ、また更新されちゃった」

と思いながら、そのまま。

また満期が来る。

「今度こそ解約しよう」

と思う。

そして、また自動更新。

そんなことを繰り返しながら、気がつけば10年くらい経っている気がします。

窓問題しかり、私が思いついてから行動に移すのに要する時間は10年単位のようです。

 

そんなCDのひとつが、先日ようやく満期を迎えました。

金額は$5,000ちょっと。

今度こそSavingsに移したのですが、せっかくなので、以前から気になっていた「投資」というものをやってみることにしました。

 

そもそも私は、株に対してあまりいいイメージを持っていませんでした。

小さい頃、実家の蔵には古い食器などの割れ物があり、それを包むのに、昔の証券がたくさん使われていました。

昭和の大恐慌で、文字どおり紙切れになってしまった五十円、百円……。

もちろん、子どもだった私には、それが何を意味するのかなんて分かりません。

ただ、薄暗い蔵の中で、かつてはお金としての価値を持っていた紙が、今は古い食器を包んでいる。

その光景が妙に印象に残りました。

そして、その紙には、大祖父母の怒りや悲しみまで浸透しているような感じがした。

本当にそうだったのかは分かりません。

子どもの私が勝手に感じ取っただけなのかもしれない。

それでも、その頃の私は、

「株って、怖いものなんだ」

と思っていたのでした。

 

そんな私ですが、アメリカで最初に就職したときから、401(k)を続けています。

開設して、もう20年。

こちらは給与から天引きされたお金が、指定したところに投資されていく仕組みです。

なんとなく始めて、そのまま続けてきた。

そして最初に就職した会社を辞めたのが10年前。

つまり、その401(k)には、この10年間、給与天引きによる新しい入金はありません。

それでも。

久しぶりに残高を見ると、上がったり下がったりを繰り返しながらも、ちゃんと育っている。

さすが複利の力。

「株って怖いもの」という私のイメージが、少しずつ変わっていきました。

株のイメージアップである。

 

もちろん、投資にはリスクがあります。

短期的には増えることもあれば、減ることもある。

そんなことは頭では分かっていました。

でも、20年続けている401(k)と、銀行から届くStatementを実際に見比べてきたことで、ようやく自分の中でも実感できるようになりました。

もっと若いときから、投資について勉強しておけばよかった。

そう思います。

でも、「もっと早くやればよかった」は、「今から始めない理由」にはならない。

そう思って、今さらながら勉強も兼ねて、自分でも投資を始めてみることにしました。

 

口座を開いたのは、春先。

Charles Schwabで投資口座を開設しました。

……開設しました。

開設しただけです。

そのまま半年弱、放置。

口座を開いただけで、なんとなく仕事をした気になってしまった。

私の「そのうちやる」は、CDだけではなかったようです。

投資先を決めていないお金は、現金のまま口座に残ります。

そして、その現金につく利子は、月々ほんの数セント。

数セント。

これならSavingsに置いておいたほうが、まだいい。

ようやく重い腰を上げました。

 

今回は「勉強も兼ねて」が目的です。

401(k)と同じようなインデックスファンドにそのまま入れるのではなく、もう少し自分でも考えてみることにしました。

とはいえ、$5,000ちょっとで個別企業の株をいくつも買って分散するほどの額でもない。

そこで、個別企業ではなく、特定のセクターに投資するETFを選びました。

まずは、自分のお金を実際に市場に置いてみる。

教科書を読むだけでは分からないことも、実際にやってみれば少しは分かるかもしれない。

そんな気持ちです。

 

そして。

最初に投資した金額は$5,588。

それが1週間後には、$5,639になっていました。

$51増。

イェイ。

 

……と、喜んだところで、ここで一度、冷静になります。

1週間で$51増えたからといって、このままずっと増えるわけではありません。

反対に、$51くらいなら、あっという間に減ることもある。

投資とは、そういうもの。

なので、一時のアップダウンにはあまり動揺せず、長期的な視点で育てていきたいと思います。

 

20年続けてきた401(k)も、10年間新しい入金がなくても、上がったり下がったりしながら、ちゃんと育っていました。

私も投資も、いきなり立派にはならない。

48歳からの投資生活。

遅いのかもしれないけれど、始めたのが今日なら、少なくとも昨日よりは一歩先にいる。

そう思って、気長に付き合っていこうと思います。

 

そしていつの日か、子どもの頃に蔵で見た、あのたくさんの証券を思い出して、

「そういえば、あれが私の投資人生の原風景だったのかも」

と笑える日が来たらいい。

その頃には、私のお金も少しは立派に育っていてほしいものです。

なにしろ、育て始めるまでに10年かかりましたから。

気長に、でもちゃんと見守っていこうと思います。

 

                (チャッピー画伯作)

10年放置した窓問題、ようやく解決しました

令和8年9月5日(土)

 

長らく放置されていた、我が家のベランダへ続くガラス戸の Window Treatment(窓まわり)問題。

以前はブラインドが付いていました。

ブラインドを開けると、ご近所さんのリビングがよく見える。
ブラインドを閉じると、今度は光が入らない。

どちらかを取れば、どちらかを失う。

なかなか人生の縮図のような窓だった。

「そこそこのプライバシーを確保しながら、ちゃんと光も通してくれるものがいいなあ」

そう思い始めてから、約10年。

……10年(!!)。

 

今回、ベランダの工事をすることになり、そのタイミングでブラインドが外されました。

「これはいい機会だ」

そう思ったわけです。

 

ただし、工事が入ったのは6月の頭。

そこから「いい機会」を実際の行動に移すまで、約2か月…

 

その間、窓には暫定処置としてゴミ袋を貼っていました。

プライバシーは守られる。
光も入る。

これが意外と私の条件を満たしていたのです (*^_^*)

それで、「今だけですから」という顔をしながら、2か月が過ぎた。

       

            スラムすぎる外から見た我が家のベランダ

       いつ、ご近所さんから苦情が来てもおかしくない状況でした… (^_^*)

 

さすがに、遠方から友人が遊びに来ることになり、

「ゴミ袋を貼ったリビングで迎えるのはどうなのか」

という、ごく普通の判断力がようやく働きました。

結局、人間を動かすのは自発的なやる気ではなく、外的要因なのかもしれません。

 

ローマンシェードにするか。

すりガラス風のフィルムを貼るか。

レースカーテンにするか。

候補を並べてみたものの、私にとってはここからが本番。

決断につぐ決断。

 

具体的なビジョンを持っている人なら、楽しい時間なのかもしれません。

でも、ぼんやりとした希望しかない私には、選択肢が増えるほど疲れていく。

「なんとなく、こんな感じ」

という曖昧な希望を抱えたまま、最終的には掃除がいちばんラクそうな、すりガラス風フィルムに決めました。

掃除のしやすさ。

48歳にもなると、「素敵」より「ラク」が勝つ場面が、静かに増えていきます。

 

そして次の問題は、フィルムの模様。

また決めるのか。

そう思いながら、だいたいの目安だけ決めてホームセンターへ行きました。

 

そこで最初に目に入ったのが、「Rice Paper」模様。

障子風、ということなのだろうか。

……何だか、いいじゃない。

あれこれ比較し始める前に、「最初にいいと思ったものを選ぶ」という、今回の私にしては珍しく潔い決断。

 

そして、いざ作業開始。

これが思っていたより、ずっと簡単に終わりました。

10年間も「どうしようかな」と考えていたのに。

       

        プライバシーなし → プライバシーと光の確保 ٩( ᐛ )و

            

                近くで見るとこんな感じ

 

こうして、我が家の窓問題はひとまず解決。

ご近所さんのリビングは見えない。

でも、光はちゃんと入ってくる。

そして何より、ゴミ袋ではない。

それだけで、リビングが急に「ちゃんと暮らしている人の家」になった気がします。

 

しかも今回、フィルムが少し余りました。

そこで、ついでに、ずっと気になっていた、お手洗いの窓のブラインドも取り外すことにしました。

こちらもブラインドを外して、余ったフィルムをぺたり。

 

すると。

お手洗いが、びっくりするほど明るくなりました。

 

        

                                                              ビフォアー → アフター

                                             写真では暗くなったように見えるけれど、

                              普段ブラインドを開けることがなかったのでいつも暗かったです

                 そして何よりも掃除がラクになった

 

「もっと早くやればよかった」

そんなことばかり言っている気もしますが、今回は本当にそう思う。

窓から入る光ひとつで、こんなに印象が変わるものなのですね。

しかも、余ったフィルムでできたので、なんだか得した気分。

 

10年越しの窓問題がひとつ片づいたと思ったら、ついでに、もうひとつ気になっていた場所まで明るくなった。

重い腰を上げると、たまにはいいことが連鎖するらしい。

10年かかったけれど。

2か月、ゴミ袋も貼っていたけれど。

終わってみれば、案外あっさり。

 

そして、窓が明るくなると、気持ちまで少し明るくなる。

人生にはきっと、もっと早く片づければよかったことが、まだいくつかある。

……でも今はあまり考えないことにします。

とりあえず今日は、明るくなったリビングとお手洗いを眺めて、

「これでよし」としておこう。

次の10年越し案件は、またそのうちに。

犬2匹と私。本を読むだけの、ちょっと贅沢な一泊

令和8年8月23日(日)

 

知り合いが、1週間ほど家を空けることになりました。

ところが、金曜日の夜だけドッグ&ハウスシッターが見つからない。

そこで、非リア充、リアルに暇な私に白羽の矢が立ちました。

 

「金曜の夜、予定ある?」

こういう質問をされると、一瞬だけ考えるふりをする。

ない。

予定がないことを、あまりにも即答するのも、なけなしのプライドが傷付くので、ほんの数秒、間を置いてみたりするのだけれど。

 

結局、うちのお嬢さんを連れて、一晩だけ知人宅で過ごすことになりました。

ホストのいない他人の家で過ごすのは、ホテルに滞在するのと少し似ています。

ただし、フロントもルームサービスもない。

犬はいる。

しかも、うちの犬だけでなく、よその家の犬もいる。

 

一泊だけなので、私自身の荷物は最小限です。

替えの衣類、基礎化粧品、本。

そして、お嬢さんのエサやら何やら、お泊まりセット。

 

知人宅にはケーブルテレビもありました。

なんという贅沢。

普段テレビをほとんど観ないので、「今夜は久しぶりにテレビ三昧というのもいいかもしれない」と、少し期待していたのです。

ところが、こういうときに限って観たい番組に巡り合わない。

チャンネルを変えては、

「うーん」

また変えて、

「これでもない」

そのうち、何を観たいのか自分でも分からなくなりました。

 

結局、本を開く。

犬たちはそれぞれ落ち着く場所を見つけ、私はソファで読書。

すると、夜の長いこと。

 

普段の私は、金曜日の夜ともなると、特に出かける予定があるわけでもないのに、気がつけば夜中の2時、3時。

SNSを少し見る。

ネットを少し見る。

「もう寝よう」と思う。

また少し見る。

そして気がつけば深夜。

 

人間とは、なぜ寝る直前になると、急に世界中のどうでもいい情報が気になり始めるのだろう。

ところが、知人宅では12時を少し過ぎたころには消灯、就寝。

静かな家。

スマホも特に見る理由がない。

犬たちも、すでに寝る気満々。

その空気に引っ張られるように、私も寝たのでした。

 

そして土曜日の朝。

自然に目が覚める。

早起きというほどでもないけれど、いつもよりずっとまともな時間です。

起きても、特にすることがない。

なんという贅沢。

 

のんびり犬たちと散歩に出かけ、帰ってきてコーヒーを淹れる。

次のシッターさんが来るまで、また本を読む。

ただ、それだけの時間。

 

少し前、職場でこんな話を聞きました。

彼女は毎年、秋に女友達5〜6人で集まり、週末だったか、1週間だったか、バケーションハウスを借りるそうです。

そして、それぞれが本を持ち寄り、とにかく読む。

読むための休暇。

なんとも大人っぽい遊びである。

観光名所を回るわけでもなく、買い物に行くわけでもない。

みんなで同じ空間にいて、それぞれ好きな本を読む。

なんだかいいなあと思った。

 

今回、図らずも知人のドッグ&ハウスシッターをすることで、私なりの小さな読書バケーションを体験できた気がします。

たった一晩。

しかも犬のお世話付き。

いや、自分の犬のお世話も含めると、犬のお世話は二重。

それでも、いつもの家とは違う場所で、いつもと違う夜を過ごすだけで、時間の流れ方が少し変わる。

 

スマホをだらだら見る代わりに本を読む。

夜更かしする代わりに寝る。

朝になったら犬と散歩する。

それだけのことなのに、なんだかちゃんと生活したような気がしました。

 

もちろん、理想を言えば、

家の断捨離をして、

デジタルデトックスもして。

自宅でも、こんなふうに静かで贅沢な夜を過ごせるようになるのが一番いいのかもしれません。

わざわざ他人の家に行かなくても。

 

でも今回、少しだけその予行演習ができた。

「こういう時間、悪くないな」と思えただけでも、ちょっとした収穫です。

 

……と、ここまで書くと、帰宅後もそのまま読書に励み、静かな土曜日の夜を過ごしたようですが。

現実はそう甘くない。

帰宅した昨日の夜には、しっかりSNSをずるずる見続けていました。

やはり、デジタルデトックスへの道は遠い。

 

                 チャッピー画伯作