令和8年8月2日(日)
先日、以前通っていた習い事で一緒だったTさんから久しぶりにメッセージが届きました。
友人と呼ぶには少し照れくさいけれど、会えば自然に話ができる。習い事のイベントなどで顔を合わせれば、お互いの近況をなんとなく知っている。
そんな、ちょうどいい距離感の人でした。
最後に会ったのは、たぶんコロナ禍の少し前。
気がつけば、5年近く会っていませんでした。
久しぶりの連絡ということで、近況報告でも届いたのかなと思って開いたメッセージ。
そこに書かれていたのは、思いがけない言葉でした。
「近いうちに離婚することになりそう。」
思わず、えっ、と声が出ました。
というのも、私の中での彼女とご主人の印象は、とても仲のよい夫婦だったからです。
ご主人は習い事関係のイベントにも参加していて、ふたりでいる姿を何度も見ていました。
私の目には、穏やかで仲睦まじいカップルに映っていました。
もちろん、人の家庭のことなんて外から見えるものがすべてではありません。
頭では分かっています。
人間というのは面白いもので、分からないことがあると、つい理由を探したくなるらしい。
実際に会うまでの間、私は勝手に想像していました。
きっと、あのことが原因だったのかな。
もしかしたら、以前のあの出来事が積み重なったのかな。
……完全に部外者なのに、頭の中では勝手に夫婦問題調査会議が開催されていました。
議長も私。
しかも、証拠は何ひとつありません。
先日、久しぶりに会って、一緒に夕食をしました。
そこで話を聞いてみると、私の推理は見事なくらい外れていました。
それはもう、「何を推理していたの?」というくらいに。
やっぱり、人のことは分からないものです。
いや、正確には、人は外から見える部分だけでは決して分からないものなのだと思います。
彼女は現在、離婚に向けて別居中。
その時間を、自分自身を見つめ直す期間にもしたいと話していました。
そして、少し疲れた様子で、
「以前の自分が何を好きだったのかも思い出せない。」
と言っていました。
その言葉を聞いたとき、私はすぐには返事ができませんでした。
「大丈夫だよ」と簡単に言える話ではないし、「分かるよ」と言ってしまうのも違う気がしたからです。
彼女が経験していることの重みは、私には想像することしかできません。
ただ、その言葉は心に残りました。
以前、私は職場の福利厚生で利用できるカウンセリングを受けたことがあります。
私は人事の仕事をしていて、福利厚生の制度を担当する立場でもあります。
社員に案内している制度だけれど、実際に利用するとどんなものなのだろう。
そんな興味もあり、一度自分自身が利用者になってみようと思ったのです。
そこでカウンセラーから
「あなたはWant(自分がしたいこと)よりも、Should(こうするべき、こうあるべき)で話すことが多いですね。」
と言われました。
その言葉は、思った以上に私の中に残りました。
考えてみれば、私は「やりたいこと」よりも、「やったほうがいいこと」を優先して考える癖があったのかもしれません。
もちろん、Shouldが悪いわけではありません。
仕事でも生活でも、責任を持つことは大切です。
でも、ときどき「私は本当はどうしたいんだろう」と、自分のWantに耳を傾ける時間も必要なのだと思います。
それ以来、小さなことでも意識するようになりました。
今日は何を食べたいのか。
どこへ行きたいのか。
これからどんな時間を過ごしたいのか。
そんなところから。
ちなみに、そのカウンセリングはその後続きませんでした。
というのも、ある日カウンセラーに
「前回言っていただいたことがすごく心に残ったので、これからはWantを意識してみたいと思います。」
と伝えたら、彼女は、さらりと
「自分が何に集中したいか見つけられたのなら、もうカウンセリングは必要ないわね。」
と。
……まさかの、先生からの卒業宣言。
もう少し通うつもりだった私は、少しだけ拍子抜けしました。
でも、今思えば、とても潔い終わり方だったのかもしれません。
答えをもらいに行ったつもりが、自分で考えるきっかけをもらって帰ってきた。
そんな感じでした。
Tさんの正確な年齢は知りません。
でも、おそらく私より5歳くらい若いので、たぶんアラフォー世代。
私は48歳、絶賛ミッドライフクライシス中です。
それなのに、不思議なことに話している内容はよく似ていました。
人生の途中で、「このままでいいのかな」と立ち止まる時期は、案外年齢とは関係ないのかもしれません。
誰の心の中にも、ある日突然「人生見直し会議」が始まる。
議長も参加者も自分ひとり。
なかなか責任重大な会議です。
しかも、終了予定日は未定。
私の会議も、まだ閉会のベルは鳴っていません。
でも、こうやって誰かと話しながら、「ああ、私だけじゃないんだな」と思える時間があるのは、悪くない。
そんなことを感じた、5年ぶりの夕食でした。

(ナノバナナ画伯作)